私がエサ売りを辞めた理由

こんにちは。

今日は私が会社を辞めた理由についてお話したいと思います。
元々は大学院で動物の研究をしていたこともあり、研究職を希望して飼料メーカーに入社しましたが、「コイツは営業に使えそうだぞ!」という上層部の判断で営業職へ配属となりました。
振り返ってみると、良くも悪くも激動の日々でしたね。

その前に、配合飼料って何?飼料メーカーって何するの?という方は、こちらをお読みください。

配合飼料メーカーとは?

また、この記事ではネガティブな内容ばかりですが、働いて良かったエピソードもぜひ合わせてお読みいただければと思います。

エサ屋をやってよかった!思う時

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私が飼料メーカーを辞めた理由

はじめに

このブログは特定の団体や企業を批判・中傷するためのものはございません。
あくまで就職活動や転職活動、あるいは飼料業界を知らない方にリアルな体験談をお届けして、この仕事について知っていただきたいと思っています。

残業時間が長かった

客先への移動、社内での事務仕事、顧客対応等々やることが多かったです。人手不足で営業職の人数も少なく、担当件数も多かったです(直接取引の企業10数件、代理店4件)。中々仕事が終わらず朝は定時1〜2時間前には来て、夜は20〜22時まで会社に残っていたり、接待で深夜まで飲んだりしていました。
記録を取っていないのではっきりとは分かりませんが、月の残業時間は大体60~100時間くらいだったと思います。

残業代が出なかった

同業他社・他業界の営業職でも同じ制度は多いと思います。
私が勤めていた会社は、出張に行くと1日2000円の営業手当が付く仕組みでした。昼間に1件行って昼過ぎに会社に戻り定時で帰っても、5件回って夕方に会社に戻って22時まで仕事しても金額は同じです。
一応営業職も出張しない日は残業をつけることができますが、ほとんど申請している人を見たことがなかったし、気軽に申請できる雰囲気ではありませんでした。
以前社内で重大なトラブルが起きた際に、担当先へ謝罪に回ったり説明書類を作成したりで深夜2時まで残業して5時に起きて会社に行って…というのが数日続きましたが、私は毎日外に出ていたため出張扱いとなり、営業手当しかつきませんでした。この時はさすがにもうやってられるか!と出社拒否しそうになりました。

残業時間が少なければ、ありがたいシステムなんですけどね。

体を壊した

hospital

自分の持つ担当先が中国・四国地方に点在しており、1日の運転時間は4〜7時間くらいで、運転距離は週に大体1000〜1400kmでした。
当時は2ヶ月に1回は高熱や咽頭炎などで倒れていました。今はすっかり健康になりました。
退職直前は接待も重なってか、マロリーワイス症候群(飲みすぎて吐いて食道から出血)となり吐血。仕事の合間に何度も点滴を打ち、その間も携帯が鳴りやまないまさに地獄でした。。。

家に帰れなかった

business hotel

宿泊ベースの出張が大体週に2,3日はあり、出張が多いときには日曜月曜以外はビジネスホテルで宿泊という週もありました。
旅行は好きな方ですが、自分の家で寝られないのはなかなか辛かったです。
あとは洗濯物が溜まってやっと家に帰れた日は洗濯三昧、郵便物が受け取れず送り主に返送されてしまう、家がどんどん散らかっていく等の弊害もありました。

経営方針に不安を覚えた

angry

飼料メーカーは年々畜産農家の戸数が減少していることから、競争が厳しく近年再編が進んでいます。
最近では日清飼料と丸紅飼料が日清丸紅飼料に、協同飼料と日本配合飼料がフィード・ワンになったのは、業界の人にとっては記憶に新しい事でしょう。
売り先が減る中、生き残っていく方法を見つけないと合併の渦に巻き込まれてしまいます。

そんな中私のいた会社の上層部は、「死ぬ気で仕事しろ!」「死んでもやれ!」「元気がないから売上がないんだ!
などなど根性論のオンパレードでした。
社員に自発的に動いてほしいという意図もあったかもしれませんが、部長が「うちらどうするよ?」「何とかしといて!」と何でも部下に丸投げしているのを見て、このままでは競争に正攻法で勝ち残っていくのは難しいと判断しました。

総合職の女性社員に対する制度が整っていなかった

顧客も飼料や資材メーカーの営業も男性が多い、古い体質の業界だったので、営業職の女性が非常に少なかったです。過去に営業をしていた女性社員の中で1年以上の産休・育休、時短勤務などの取得実績はゼロで、結婚か妊娠が分かった時点で退職していたようです。

私も将来的に妊娠・出産した場合の制度等について、会社側とは何度も話し合いをしましたが、「配慮するつもりはあるが、具体案はない。最低でも数年はかかる」という回答しか頂けず、将来が不安になったので20代のうちに次を探そうという気持ちになりました。
入社前には「制度があるから全然大丈夫ですよ!」という説明を受けていたから安心しきっていた自分も注意が足りなかったかもしれません。人事の立場からは良い風にしか言わないし、言えないということに気づくのが遅かったです。
他メーカーでは家庭事情に配慮して担当件数を減らしたり、勤務地を限定したりしていたようです。

自分の趣味や時間が持てなかった

営業職や管理職は会社から携帯電話を渡されており、定時後や休みの日にも社内外の人から頻繁に電話がかかってきました。土曜日の朝にお客さんから電話が来て跳び起きたことも何度かあります。
プライベートと仕事の境目が中々難しかったので、休みの日にも仕事のことを考えてしまいがちでした。
また泊まりの出張が多かったので、私がひそかに憧れていた、平日の夜にライブに行きたいとか楽器を弾きたいという夢は全く叶いませんでした。

この辺に関しては、仕事が趣味です!みたいな人は苦痛にはならないかもしれませんね。実際同じ部署の人はそういう人ばかりでしたから。

単身赴任に疲れた

shinkansen

配属先が主人の住んでいるところから遠いところだったので、別居婚という形を取りました。
新幹線を使って3時間半くらいの距離。2〜3週間に1回は帰省していたため、休日も移動が多くて疲労が溜まっていきました。
会社から旅費の補助が出ていたので、金銭的にはありがたかったんですけどね。

当時は「それ以前にそもそも単身赴任さすなよ!」という気持ちでいっぱいでした。今や苦労話のネタとなっています。

その他

セクハラは比較的多い業界かもしれません。
会合などお酒の場で若い女性に飢えてるお客さんに触られたり、嫌なことを言われるかもしれません。
慣れればどうでも良くなります!私は慣れました(*’▽’)笑
今後は顧客の世代交代もあり、徐々に変わっていくと思いますが、女性で営業をやろうという方はある程度の覚悟が必要かもしれません。

その他、申請書類や報告書類などが古いシステムのままで、業務効率が非常に悪かったです。改善案は各部署に何度か提案しましたが、「我々の立場では何も出来ない」という返答でした。
これについては業界全体が同じ傾向にあると思います。

会社への退職意思の伝え方

私の場合、会社に不満がありましたが上司には感謝していたので、自分の気持ちをありのまま伝えました。今でも申し訳ないなぁという気持ちはありますが、やはりこうするしかなかったと思っています。
部長や人事にも呼び出されたので、会社側にこのままでは若者の離職が止まらないことに気づいて欲しいと思い、自分の不満を全て話しました。
、同期の話では、今も「なぜ若者の離職率が高いのか?」という会議を延々としていて結論が出ていないらしいので、どうやら伝わらなかったようです。。。

これから就職活動や転職をする方は参考にしてくださいm(__)m
決して悪いことばかりではなく、働いていて良かったことも沢山ありましたので、次回の投稿も合わせてお読みくださいませ。

エサ屋をやってよかった!と思う時

最後までお読み頂きありがとうございました。

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